• アドラー心理学『嫌われる勇気』について。①人は今の目的のために過去に原因を求める。

    何回かに分けて、アドラー心理学について考えてみようと思います。

     

     

    嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

    嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

     

     

    ギリシア哲学とは

    アドラー心理学とは、ギリシア哲学の地続きにある思想であり学問です。
    ギリシア哲学はいわゆる、アテナイ以前は「万物の原理は水である」とのタレスの言葉に代表される自然哲学であり、アテナイ以降は、ソクラテスプラトン、アリスドテレスなどに代表される、無知の知イデアの哲学など、個人の平安についてや、よく生きること、徳を持つことにフォーカスした哲学です。

     

    そして延長線上にあるアドラーはというと、心理学者のユングフロイトと並べられる世界三大巨頭の一人です。

     

    日本の高校の授業では習わなかったアドラー

    ユングフロイトは日本の高校でも倫理の授業で習いますが、アドラーは聞きなれないですね。

    その理由としては、アドラー心理学は学問としてではなく、人間理解の真理としてあり、アドラー派の思想はコモンセンスとして共通感覚になることを考えられていたからで、深層心理といえばユングというような人に由来する学問を目指していなかったというところが理由になるのでしょう。

     

    嫌われる勇気の構成

    人間に対して懐疑的で、シニカルで、幸福などありえないと考える逃避的な青年が、アドラー心理学を説く哲人との対話を通して徐々に世界の見方(=ライフスタイル)を変えていくという内容です。

     

    それはまるで、ソクラテスが対話をしたように。

     

    人は変われる

    『嫌われる勇気』の最初の提言、人は変われるについて。

     

    主人公である青年は、何年も家に引きこもりの友人を引き合いに出し、「本人は外に出たいと思っている。自分を変えたいと思っている。なのに過去のトラウマが原因で今の自分を変えることができない。人が変わるのは難しい。むしろ変わることなどできない」と言います。

     

    それに対し、哲人は「過去は関係ない。トラウマは関係ない。今の彼が外に出たくないから、不安やトラウマを作り出しているのです。外に出ないという目的を達成するために、不安や恐怖という感情を作るのです」と返します。

     

    人は過去の出来事によって現在や未来を規定されるのではなく、今の目的によって、感情や記憶を持ち出す。

    これをアドラー心理学では目的論と言います。

     青年の引きこもりの友人は、家を出ようとすると、恐怖から動悸や手足の震えもあるものの、それも外に出ないという目的のために作られた手段なのです。

     

    夢を持たない彼と、アドラーの目的論

    例えば私にも夢を持つのは馬鹿げているという主張の友人がいます。

    彼は現実主義で、堅実な生き方を好んでいますが、人は信用しない、自分の望みを持つのも無駄と言い切っています。

     

    彼の人生は、小中学校は転勤族だったそうです。せっかく友人と仲良くなっても引っ越してしまえばその後の友人関係はなく、新しい場所ではヒエラルキーが形成されているため、嫌われないように仲間入りしていく必要や、場合によってはご機嫌をとるように関わる必要があったようでした。

    よそ者として扱われる彼は、発言権などなく、周りを立てることでしか人間関係を築いていけません。仲良くなった頃にはまた引っ越ししてしまうのですから。

     

    彼にとって、今の延長にある未来は突然終わりを告げられるものであり、自分の意思や望みよりも周りや親の事情が優先され、他者によって振り回される人生だったようです。

     

    彼は、その結果今の自分のように、誰かに頼ることもできない、夢を持つことどころか考えもしない人間になったんじゃないかと言いました。

     

    しかし、アドラー心理学の見地から見直せば、今の彼が人を信頼できない、夢を考えられないのは、人を信頼したくないから、夢を見たくないからという目的のもと、過去の自分を振り返っていることになります。

     

    つまり、単純にいうとするならば、夢を持ったのに外的要因で夢を諦めさせられ、悲しい思いや苦しい思いをしたくない。

    人を信頼したのに、仲良くなったのに失って辛い思いをしたくない。

    という自分を守る目的があるのでしょう。

     

    そう話してみたとき、彼は目を丸くしながら「そうかもしれない」とつぶやき、「でももう遅いかな」と続けました。