遊びは役に立たないのか?真剣にやる価値がないのか?仕事と遊びの二元論に対して思うこと。
ふと思うこと。
仕事と遊び、切り分けすぎじゃない?問題
仕事を日常、遊びを非日常という二元論
「仕事を日常、遊びを非日常」という考え方が日本では一般的
仕事と遊びは別物であり、仕事中心のライフスタイル。
疑問を感じたことはありませんか?
生きることを分解して考えるのは間違いではありませんが、当たり前だと思い込んでいませんか?
二元論的に仕事と遊びを切り分けることで、
仕事は真面目、遊びは不真面目
仕事は偉い、遊びは偉くない
仕事は人を幸せにする、遊びは人を幸せにしない
仕事は価値を生む、遊びは価値を生まない
と、二項対立で考えてしまいがちです。
遊びは役に立たないのか?真剣にやる価値がないのか?
タモリの名言でこんな言葉があります
「真剣にやれよ!仕事じゃねぇんだぞ!」
遊びや趣味だからこそ真剣にやるんだとか。
そもそも「生きること」について考えるべきです。
誰かを助けて、誰かに助けられて生きていくということ。
「助ける」という部分。
人間は古来から刈りをして仲間の分まで獲物を取ってくるとか、体力はないけど皿を作ることはできるとか、動物がいない時期に備えて農作業をするとか、1人ではできない大きな「生きる」ということを、分担して協力してやっていたんです。
人間は1人では生きていけないというのはそういう意味です。
それが「どれだけ貢献したか」の価値尺度としてお金が行き来するようになって、お金を稼ぐには仕事をするしかなくて、仕事をする人が偉いという価値観になってきたんじゃないですかね。
遊びの価値
でも、本当は遊びにだって価値がある。
頑張って働いた人の癒しになるのは遊びで、遊び方を知りたい人だっている。
遊びは仲間を楽しませる。
遊びは人を幸せにする。
遊びは不安や孤独を忘れさせてくれる。
遊びは多くの人に必要とされている。
今までは遊び自体にお金が発生することはなかったけれど、YouTubeやブログのおかげで遊びからもお金が生まれる仕組みができている。
遊びの価値が明らかになっているということ。
それに、人間の長所はクリエイティビティであり、クリエイティビティはなにから生まれるかといえば、遊びからだと思う。
遊び心が斬新な発想を生む。こうしたら面白いんじゃないか?こうしたらもっとみんな楽しいんじゃないか?と。
本来、人の価値は人を喜ばせること、楽しませることにあるわけだ。
柔軟に考えるためにも遊ぶべきだし、遊びながらどうやって人を喜ばせるかを考えれば、お金も生まれるんですよ。
だから、遊びこそ真剣にやるべき。
仕事と遊びに切り分けて生きていくよりももっと本質的な人を喜ばせること、楽しませること、助けることについて考えていく。
そんな生き方の方が、充実していると思いますけどね。