良い空間で、良い料理を、良い食器で食べることは幸福の一つの形である。
美味い食べ物を知るということ、食べるということは、人の幸福に大きく関わるのだと、最近改めて思っている。
社食のある会社も少なくないが味が「フツウ」で、毎日食べると飽きるものばかりだった。
何を食べても飽きるのならと、カレーやラーメン、うどん、そば、くらいをローテーションして、お腹を膨らませるためだけの食事になる。
Googleなんかはめちゃくちゃ豪華な社食を作っているとかなんとか聞いたことがあるが、仕事のモチベーションのためにはかなり大事なことであると思う。
魯山人パイセンの言葉にも
食物はなんとしても「美味く」あって欲しい。美味くなくてはよろこびというものがない。美味いものを食うと、人間誰しも機嫌がよくなる。必ずニコニコする。これが健康をつくる源になっているようだ。
とある。
美味い食べ物を食べれば「これ美味しいね」と会話が弾むし、食事の時間が楽しみになる。
特にもそもそと食べているのではなんの感動もなくひたすら「無」だ。
また、食器にも気を使いたい。
よき食器、よき調度品はものを美味く食わす、
これもまた魯山人パイセンの言葉だが、社食の食器は白のプラ素材が多い。
コストパフォーマンスの点から仕方ないのはわかるが、それこそ餌を食べさせられているようで気分が萎える。
自分の幸福のためにも、多少お金を払ってでも、良い空間で、良い料理を、良い食器で食べたいものである。