100点を取ることよりも勉強していることを偉いと思ってしまった人は気をつけないとダメ。
こんにちは、yuuです。
ちきりんさんのツイートを見て考えていました。
毎日ひたすら会社の机の前に座っている。そうすれば「頑張ってるな!」と評価してもらえると思ってる会社員の多くは、毎日ひたすら勉強机の前に座っていたところ、「あらー、頑張ってるわね!」と評価してくれた母親に育てられてると思う。
— ちきりん (@InsideCHIKIRIN) 2017年2月17日
頑張ることが、偉いことだと思っている人って、根本的なところで間違えてるんですよね。
そしてそれはまだ自立していない頃の周りからの影響が大きいということも確かですが。
小中学校の経験で言えば、100点を取ることよりも、勉強する(机に向かう、ノートを綺麗に書く、黒板を全部写す)ことを偉いことだと思ってしまった人は、努力の過程に価値があると思っている場合が多い。本来は結果が全て。
— 悠 (@yu_raku72) 2017年2月17日
先生が、ノートをちゃんと取ったり、綺麗に書いたり、真面目に授業を聞いていたりすると褒めてくれるんですよ。偉いわね、頑張ってるわねって。
そうすると、頑張ることが目的だと勘違いしまうんですね。
勉強だったら、覚えること、それを実生活で使えるようになることが目的です。
「頑張っている」ことの価値は結果が出なかった時「こいつは結果は出なかったけど頑張っていた(ように見えていた)から責めないでおいてやろう」と、免罪符として他者からの評価が下がりにくいという価値だけ。
— 悠 (@yu_raku72) 2017年2月17日
そしてそれはいつまでも続くものではない。
仕事であれば、頑張っていること、資料を綺麗に作ること、社会人のマナーが身についていること、知識があることが目的ではなく、商品を作ることや、売ること、大きく言えば価値を発揮することが目的です。
努力は結果を出すための手段に過ぎない。
— 悠 (@yu_raku72) 2017年2月17日
要領よくやっても、頑張ってやっても、他人の協力を得ても、一人でやっても、結果が全て。失敗すれば価値はない。
ただ、"結果"も、時と場合により、なにを求めているかで変わるので努力している姿を見せることが必ずしも価値がないかと言えばそうでもない
結果を出すためであれば、極端な言い方"手段は問わない"んです。
後ろ指指されようと、罵倒されようと、卑怯だと言われようと、多くの人を喜ばせることができれば、多くの人を幸せにすることができれば、大きな価値を発揮することができれば、それが結果です。
どれだけ時間をかけたか、どれだけ真面目にやったかは正直言って関係ないです。
どれだけ頑張ったか、頑張ったように見えたかで戦うと、時間給でどれだけの時間その場にいたかが重要になるし、どれだけ真面目に取り組んでいるように見えるかが評価基準になってしまう。
— 悠 (@yu_raku72) 2017年2月17日
成果に対しての報酬をもらうようにすれば、どう時間を使おうと、結果が出れば問題がない。
だから、頑張っている=偉いと思ってしまっていると、頑張っているだけでお金をもらえると思ってしまうわけです。
アルバイトや正社員の多くの人はこの思考に陥りがちです。
その分は誰かが価値に変えてくれているのです。
自立して稼ぐには、頑張る=偉いの思考から成果を出す=偉いの思考に変えていきましょう。