人生は暇つぶしだと思ってからの仕事の選び方。
人生は暇つぶしだ。
マズローの五段階欲求説で言えば、現代日本社会において、生存レベルの衣食住で困窮する人は多くはない。
食べ物は安価になりそこそこ美味いものが手軽に食べられ、ファストファッションのおかげで、着る服はオシャレにも気を使うことができる。バブル時にボコボコ建てられた家のおかげで、不動産は余るくらいだ。
まさに大量生産様様で、生きていくための必要条件は過半数が満たされている。
そうすると、「生きなくてはいけない」と、生にしがみつく必要がなくなり、考える余裕ができる。
おかげで、自分の存在意義や人生の命題について思考を巡らせるようになるわけなのだが、そういう人が考えるような「人が生きていく意味」というものは残念ながら無い。
「自分が生きる意味は自分で決めなくてはいけない」のだ。
そうすると、次に「どう生きていくか」という課題に当たる。
ここで重要なのは世界は自分のためにできていないということ。
自分の思い通りに生きていくことはできない。
だから、どれだけ楽に楽しく生きられるか。
楽というのは、身体を使うとか、頭を使うとか、人とコミュニケーションを取るとか、人を動かすとか、愛想をよくするとか、どれが自分は一番ストレスなくできるのかということ。得意なこと。
楽しいというのは、満足度が高いとか、充実しているとか。好きなこと。
妥協に妥協を重ねて、選択肢を検討し、良い道を選び、ついでに人生に意味を与えていく。
そして、生きていく上で避けて通れないのが働き方だ。
なんの仕事をするのか。
かっこいい仕事がいいと思うかもしれない。
尊敬される仕事がいいと思うかもしれない。
汚い仕事はしたくないと思うかもしれない。
職業に貴賎なし。
コンサルや金融、公務員が偉いかのような顔をしているけれど、結局世の中を動かしているのは地道な仕事をしている人たちである。
自分が食べる分以上の魚を釣り、野菜を作り、家畜を育て、料理し、提供する人。
自分が歩くわけでもない道を造る人、舗装する人。家を建てる人。
映画を作ったり、イベントを企画運営したり、人を楽しませる人。
身体を使うか頭を使うかという差で、頭を使う人が偉いように言われるが、これからの時代は身体も使って頭も使う人が偉い。
色んな仕事を経験するというのは、社会を様々な視点から眺められるということ。
身体を使う人たちは、使えば使うほど疲弊していくし、事故や病気で身体が使い物にならなくなった時に困る。
一方で頭は使えば使うほど知識も蓄積され、回転もよくなる。
ただ、オベンキョウができることには意味はなく、現場的な知恵や現実に落とし込めるかどうかまで理解が及ばなければ無意味である。
最強の働き方は、現場をやりながら専門知識をつけていくこと。
専門知識は大学を出ているかどうかではなく、本を読んだかどうか、自分の中で整理できているかどうかが重要。
というわけで、自分が一番妥協できる仕事を見つけて、そこのプロになるというやり方がよいと思われる。