• 初心者ブロガーが読むべき徒然草の話5選。

    こんにちは!きつねです。

    ブロガーの元祖ともいうべき兼好法師徒然草は、現代人が読んでも学べることがたくさんあります。


    つれづれなるまゝに、日ぐらし硯に向かひて、心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書き付くれば、あやしうこそ物狂ほしけれ。

    という序文は誰でも知っていると思いますが、鎌倉時代のいわゆる雑記ブロガー的存在で、世間から一歩離れて、世論を皮肉るような小話を書いたり、カツオは低級魚だからマズイ!と書いたりしていました。

    徒然草には244段もありますが、今回はその中でもブロガーが読んでおきたい話を紹介します。

    ヘタクソでも、上手な人に混じって、批判も受けながら続けることがプロへの道

    これから芸事を身に着けようとする人はとかく「ヘタクソなうちは誰にも見せたくない。こっそり練習して、ある程度見られるようになってから披露するがカッコいい」と言うが、そういうことを言っている人が最終的にモノになった例えはひとつもない。

    まだ未熟でヘタクソな頃から、上手くてベテランの人たちに混ざり、バカにされて笑われて、それでも恥ずかしがらずに頑張っていれば、天性な素質がなくても上達できる。道を踏み外したり、我流に固執することもないだろう。

    そのまま練習し続けていれば、そういう態度をバカにしていた人たちを遥かに超えて、達人になっていく。 人間的にも成長するし、周囲からの尊敬も得られる。

    今は「天下に並ぶ者なし」と言われている人でも、最初は笑われ、けなされ、屈辱を味わった。それでもその人が正しく学び、その道を一歩一歩進み続けてきたおかげで、多くの人がその教えを授かることができるようになった。

    どんな世界でも同じである。

    「文章ヘタだから書きたくない」とか、「まだ初心者なんで」とか、初心者のうちは心が引きこもりがちです。

    しかし、誰もが初心者だった時期を過ごしているのですから、恥ずかしがらずに自分の作品を世の中に出していくのがオススメです。



    初めてのことをする時には、よく知っている人を参考にした方がいい

    仁和寺にいた坊さんが、歳をとるまで石清水八幡宮に参拝したことがなかったが、ふと思い立ち、徒歩で参拝に行った。

    そして、極楽寺や高良大明神を拝んで、これが石清水八幡宮かと思い込んで帰ってきた。

    その後「長年の望みが叶いました。話で聞いていたよりよも尊いものでした。しかし、参拝者はみな、男山に登って行きましたが、何かあるのでしょうか?私は神に参るのが目的だったので行きませんでしたが」と語った。(石清水八幡宮は山の上にある)

    ほんの小さなことでも、案内者はあってほしいものである。

    はじめてのことは何もかもが分からないことだらけです。
    自分だけで判断していては良いも悪いも、それを決める基準すらありません。

    だからこそ、ロールモデル、メンター的な先輩を見つけて、情報を集めたり、場合によってはコンタクトをとって教えを乞うのも大事なことです。



    体を動かすことで分かることがある

    筆を手にすると、自然に書きたくなり、楽器を手にすれば演奏したくなる。盃を持てば酒を飲みたくなるし、サイコロを拾えば賭け事がしたくなる。心というのは何かに関連して動くものだ。

    ついちょっとでも仏典の一句を見ると、前後の文章を見る。すると突然長年の過ちに気づき、改めることもある。もし今この経典を広げなければ知ることはできなかったことだ。これが、まさに何かに触れたことの利益である。

    心がともわなくとも、仏の前で数珠を持ち、経典を手にすると、いい加減な気持ちのままで善の行為が自然に実践でき、散漫な心のままでも坐禅の椅子に座ると、禅定が行われている。

    実践と理論は分かれていない。だから、実践が正しい時には悟りが熟しているのである。実践している人に敬意を払って尊ぶべきだ。

    自分の体をもって、体験したこと、実感したことであれば、心のままに書くことができます。
    なんでも、pcの前で頭を捻るのではなく、触ってみて、試してみることが大事ですね。


    大事なのは真似をすること。

    人間の心は素直でないから、偽りがないとは言えない。しかし、たまに正直な人もいるかもしれない。自分自身は素直でなくとも、賢者を見て尊敬するのが普通である。しかし、愚かな人は賢い人を見ると憎む。「彼は大きな利益を狙っているから、些細な利益を断って、偽善者ぶっているのだ」と悪口を言う。

    自分の考えと違うだけで人を馬鹿にする人がいるが、孔子が『論語』の中で「下愚の性質は変えることができない」と言ったように、愚かな人は賢人のようになれない。

    狂人の真似をして大通りを走れば、その人は狂人だ。悪人の真似だと言って人を殺せば悪人である。それが偽善であっても賢者の真似をするものを賢者というのである。

    文体、文章も、良いものを書きたいと思えば、参考になる人を見つけて、真似をするのがいいでしょう。

    "学ぶ"とは"真似ぶ"から来ていると言うように、模倣が実力アップの近道です。