• なぜ男は筋肉をつけるべきなのか。縄張り争いの社会で生きる。

    人は21世紀になって、AIがどうとか、ロボットがどうとか言っていても、結局のところ未だに良くも悪くも結局生き物である以上、縄張り争いをしている。

    現代は明確な縄張り争いもないようには思えるが、小中学校でのいじめ問題は顕著な動物的本能による派閥争い、覇権争いであり、ヒエラルキー形成は"強さ"による。時期的に、小学校低学年から中高学年は足の速さ、小学校高学年になると賢さが重要視され、中学校になると体の大きさ、筋肉の量が重要視され始める。

    現代では情報をうまく扱うスキルや、大人と口でやりあうスキルなども重要視されるが、特に男子社会においては、物理的な体の強さは物心がついた段階から離れられない要件になる。(史上最強の弟子ケンイチでも、当初力が弱いケンイチは学内でボコられていたし、ホーリーランドでも、神代ユウも学内でイジメられ、居場所をなくした描写がある)

    大人になるにつれ(精神が成熟するにつれ)力関係は複雑化し、頭の良さ、異性からの人気、経済力など、明らかな力の強さだけでは測れないようになるものの、個人的主観として「生物として目の前の生き物は自分より強いのか弱いのか」というのは常に意識の一つにあるように思う。

    もちろん、まったく無いように振る舞う人もいることはいるが、単純な話、弱そうなヒョロガリのメガネがイキっているのと、強そうな体の大きいたくましい男がイキっているのでは、ヒョロガリがイキっているほうがイラっとするものだ。(例えばスーパーマラドーナの田中と武知のような2人が並んだ時、田中がイキっているとイラっとする、というのを彼らはわかっているため、武知がドツくことで笑いに変えている)

    営業マンとして考えた時、押したら倒れそうな冴えない弱そうなおじさんが「これオススメなんですよ」と言ってきた時と、プルデンシャルの短髪ゴリラ(と言えばなんとなく分かるのでは無いかと思うのだが)が営業に来て「これオススメなんですよ」と言った時、商材への評価は別として、短髪ゴリラの方は断ったらなんか殴って来そうという偏見が誰しもあるのではないかと思う。"こいつ自分より強そう"という意識が言うことを聞かされてしまうのだ。心理学で言うとこれもハロー効果だろう。強そうな=男性的価値の高い容貌は、商品の価値も高く見せるのだ。



    ということを現・ヒョロガリは思うのであった。

    史上最強の弟子ケンイチ

    概要

    いじめられっ子の主人公・白浜兼一が女性武術家・風林寺美羽と出会い、信念を貫くための強さを手に入れるために様々な武術を極めた達人が共同生活をしている道場・梁山泊に入門し、数々の敵味方との出会いと梁山泊での修練によって肉体的、精神的成長を遂げてゆく物語。本作で登場する多種多様な武術は、ほとんどが実在のものであるという特徴がある。

    既存のバトル漫画に比べて修行のシーンが多く、ストーリーは、成長譚というベースで成り立っている。主人公の兼一は度々梁山泊を脱走したり、練習をサボったりする。また、師匠達も弟子の兼一に対して武術の才能は全く無いと言い切り、興味本位で兼一に武術を教えているような描写もあり、既存の単純な成長物語に収まらない。なお、初期には街中での喧嘩が多かったが、次第に大会へ出場するなど名目が立つ戦いが描かれるようになった。

    スタイルが良く露出度の高い女性キャラクターや、胸ポチ、衣服が破れるなどのお色気要素が多いのも特徴。各話ごとに作者の顔のマーク(通称「俊君マーク」)が書かれているという遊びもある(単行本34巻より)。

    ホーリーランド


    あらすじ

    高校生の神代ユウは、家にも学校にも居場所を見つけられず夜の街にいた。華奢な外見であり、ひ弱ないじめられっ子であったユウだが、ある時、本屋で見掛けたボクシングの教本を手に取り、内容に書かれていたワン・ツーを覚え、人知れず自室で訓練を繰り返す。そして何ヶ月か経った頃、夜の街で自分に絡んできた不良達をワン・ツーで倒していったユウは、次第にヤンキー狩りと呼ばれ恐れられる程になっていた。その名に引かれるように、腕に憶えのある不良や格闘家達がユウに挑みかかり、彼だけではなく初めて出来た友人や仲間達をも巻き込んでいく。しかし、繰り返される強敵との闘いの中で、ユウの実力は更に上がり、その強さで、夜の街をうろつく若者たちの中で路上のカリスマとも言える存在になっていくのだった。